県外出身・元航空自衛官・選挙違反なしで奮闘記 〜その1〜

はじめに

大山たかおです。7月2日に投開票が行われました那覇市義会議委員選挙において皆様のおかげを持ちまして、2640票という大きな信頼を得ることができました。私はまだ、当選証書を受け取っただけであり那覇市議会議員として活動はしておりませんが、この選挙について一般人目線(つい最近まで一般人だったし・・・)で政治というものを皆様にお伝えできたらと思います。

自衛隊の勤務時代

パイロットを目指したきっかけ等は省略しますが、私は航空自衛隊の救難ヘリコプターパイロットとして勤務をしました。自衛隊の学生期間を含めれば18年間、航空自衛隊で勤務をし、その間9回の転勤で全国各地を飛び回りました。
救難ヘリのパイロットとしては宮城県松島基地(松島救難隊)→沖縄県那覇基地(那覇救難隊)です。

那覇救難隊のパイロット(UH-60Jというヘリコプター)時代にヘリコプター空輸隊のパイロット(CH-47Jというヘリコプター)が諸般の事情により2名ほどパイロットが退職するということになり、全国の救難ヘリコプターパイロットに

誰か、救難にヘリコプターパイロットの機長クラスで、CH-47Jに機種転換するものはいないか

という意思確認がありました。私は、自分自身の母が福岡県内に住んでおり、体の体調も思わしくなかったことと、新しいことにチャレンジがしたという気持ちで輸送ヘリへの機種転換を希望しました。

※自衛隊において、今まで乗っていた飛行機・ヘリコプターから違う機種に乗ることを「機種転換」と言います。

輸送ヘリ(CH-47J)機種転換は、航空自衛隊では埼玉県入間基地で行います。私は「CH-47J機種転換課程」の学生として入間基地で飛行訓練を行なっていました。機種転換過程は、2月から始まったので沖縄から教育入校(那覇に在籍はするものの、他の基地で訓練を受けること)しました。当時は、あまりの寒さに「私もすっかりウチナンチュ(沖縄の人)の体感温度センサー」になったものだと思っていました。

そして、日本を揺るがすあの日が来ます

東日本大震災

その日は、飛行班長(当時)と飛行訓練をしておりました。飛行隊の方から

ただいま非常に大きな地震があったので、訓練機は基地へ帰投せよ

という指令があり、地震の規模はわからなかった(確認しなかった)が、訓練中止をかけるくらいなので、よほど大きな地震だと認識し、帰投を継続しつつ大きな道や橋の崩落、崖崩れ、電車の横転の状況を確認しました。

〜以降 その2へ続く〜

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